ACANEXの日記

とあるWEBデザイナーの何の変哲もない日記。

バイクの話。

私はバイクに乗る。正確に言うと現在休止中なのだけど、バイクが好きだ。
しかし、ごく親しい人が重大なバイク事故にあった。
その後も私は暫くバイクに乗っていたが、どうしても無茶な運転を辞める事が出来なかった。それは、快楽を求めてなのか、死を期待してのもなのかは分からない。一度転倒をし、以来周りの人間に強く「そういう乗り方はしないで欲しい」と言われたのをきっかけに、バイクを休止している。再開するのは、安全にバイクに乗れる状態になれた時である。バイクというものは、壊す時も死ぬ時も一瞬である。「大丈夫だろう」という傲慢さが事故に繋がる。そうやって自分自身小さな転倒をして来たし、友人達の大きな事故を見て来た。そして身近な人間との仲を失った。
それでも毎日「バイクに乗りたい」と思う。禁煙をしている時と似た様な状態かもしれない。毎日のように乗っていたから。習慣的な中毒。
しかし、乗れない(乗らないと決めている)のに乗りたいなどと口にしても何も生まれないため、何も言わないようにしている。私の親しくない知人では「バイクがそれ程好きでなく降りた人間」と思っている人もいるかもしれないほど、バイクの話を避けている。飲めない酒の話をしても辛くなるからしない、といった状態だ。
そういえば、3年程前に知人から聞いた話がある。その人はサーキットやスポーツ走行が好きで、高速道路でもスーパースポーツバイクを飛ばす人だったと言う。ある公道の区間でタイムを計り、熱心にその記録をブログに投稿するのが習慣だったとか。そしてある日右直事故で大きな怪我をした。後遺症に残るような怪我ではなかったが、バイクに乗れるようになるまで数ヶ月を要した。その間、その人のブログはタイム記録から、哲学ブログへと変容していった。少しずつ、「バイクとは」という哲学的な内容に変わって行き、そして少しずつ、内容が暗くなっていったという。それで周囲の友人達は「これはマズイ」とドライブに誘ったり飲みに誘ったりするようになったとか。
今こうしてこの文章を書いている自分も、その人と同じ類かもしれない。毎日乗っていた頃はバイクについて語るのが苦手で、走る以上に雄弁なことはないだろうと思っていた。今こうしてここにつらつらと書いている文章は、乗れないおじさんの独り言の類いと殆ど変わらないだろう。焦ってはいけないが、こんな日もあったなワハハと笑える日が来るようになりたいと思っている。

また、暑い日にバイクを車に積み込んで早朝に出かけたり、山にソフトクリームを食べに行ったり、写真を撮りに行ったりしたいものである。