方丈記 鴨長明「かてともしければおろそかなれども、なほ味をあまくす。」
ありがたいことにこの人生において食うに窮する機会がさほどなかった。さほどということはいくどか、そういった状況もあったということなんだけど、生命の危機をありありと感じるほどはなかったんじゃないかとおもう。
おもえば、記憶を遡ること小学校二年生のとき。友人5人ほどだったか、噴水があって、鳩の多い世田谷公園に来ていた。子供たちだけで公園にくるのは中々ない機会なので、ずいぶんと高揚していたようにおもう。売店でおのおの好きなお菓子を買い、噴水に降りるための階段に向かっていた。噴水の周りはぐるりと遠くに見える森に囲われていた。空は晴れ。あたたかなコンクリートのにおいを感じながら急ぎ足で、数メートルしかないゆるやかな階段を渡ろうとしていた。そのとき、わたしは持っていたコアラのマーチを一つぶ落とした。ああしまったと拾おうとした瞬間、友人がそれを踏んだ。潰す目的だったと感じる強さで。親愛を含んだ笑みをこちらに向けた。わたしは驚いた。なんのことはない、彼は落ちたゴミを気持ちよく潰し、「ニカッ」と笑ったのだ。そのときわたしは、人間が食べ物を拒絶する行為を初めて見た気がする。
物心がついたころから、家庭では父親を「残飯処理班」と笑って呼んでいた。父は食卓に残った食材を必ず食べる。最初に手を出すのは昨夜の残り物。「なぜ食べるの?」と聞くと「悪くなるから」と言っていた。「お腹いっぱいにならないの?」と聞くと「なる」と言い、それなのに食べるの変なのとおもった。母親は「そういう人なのよ」と言い、わたしはそういう人なのか、とおもった
気が付くとわたしも同じようなことをするようになっていた。家庭では、お腹がいっぱいでも、皿に物が残っていると食べなくてはとおもい食べた。たんなる欲張りだったかもしれない。兄弟がいて、奪い合いだったせいもあるかもしれない。食べ物は特別で神聖な存在だった。だってご飯は美味しいし、納豆や海苔は美味い
高校に入ってからのとき、少しやんちゃな同級生が、ファストフード店で買った商品を「まずい」と道に捨てたことがあった。またわたしは驚いた。そのような行為がこの世の中において許されるのか。買ったものが思ったより口に合わないことはある。しかしそれを捨てる?母親の授乳を拒絶する赤ん坊と言うか、空につばを吐く鳥と言うか、自然の摂理だとおもっていた流れに反するなにかを見て、おどろく以外のなすすべを見失った。だってご飯だよ?我々は食べなければ死ぬ。働いた金で食べ物を買う。食物と作ってくれた人に感謝していただく。これが飽食の時代なのか。
18歳の頃には、あまり食事を取らなくなったことがあった。忙しさと疲れで食欲と時間がなかったのだ。断片的に思い出すのは、生きるために仕方なく炊飯器から米を手ですくって食べたり、人に出されたカレーライスやマグロ丼を申し訳なく嫌々飲み込んだこと。生に希望が持てないのに生きるための薬を喉につめこむ行為は苦痛だった。
それからその時期もだいぶ過ぎ去ったあと、金銭的余裕から食事を楽しむようになった。
近所の飲食店を巡り、評判の良いお店に出向き、思い出とゆかりのあるお店を訪ねた。また、それを一通りし終えると、料理を楽しんだ。好きな食材を購入し、好きなメニューを好みの味付けで作る。ひとりで食べたり、写真におさめたり、親しい人と食事を共にしたり。心地よさを感じるほど、心地よくないときとの落差をはげしく感じるようになっていった。
味気のない食事をとる位なら食べない方がよく、人と会うとき以外に食事をほとんど取らなくなっていた。人といただく食事は美味しいけど、一人で食べる食事はおいしくない。そうなると、毎日人と会っているわけではないので、食べない日もでてくる。それは1日の時もあれば数日続くときもある。これでは健康によくない。ある日「これはよくない」とおもって出前を頼んだ時、ショックを受ける出来事があった。味を感じなかったのだ。味を感じないことに疑問を持ちながら食べ進めたが、あまりの味の感じなさに堪らなくなり、ついに箸をとめた。そして気持ち悪くなり、食べるのをやめてしまった。今まで、目の前の食事を残したことはなかったが、熱心な信者が神に背いてしまったような絶望感と背徳感を覚えたことを覚えている。
今日まで、できるかぎり健康のために食の取り方というものを意識してきていたつもりだった。食事回数や、栄養バランス、咀嚼回数。一旦習慣化するとそれはもはや意味の重要性を失った通例儀式のようで、食べたくなくても朝ごはんを食べた。乳製品は一日一度は摂取し、咀嚼回数は最低20回を守った。炭水化物、ビタミン、タンパク質のバランスは一日のトータルでバランスを補う。しかしどんどんと食べることが苦痛になってきている今、そのバランスは崩壊しつつあり、さらに無理に食べようとすればするほど食事が辛くなっていた。しまいにはこうして味すら感じなくなってしまった。これではまずい。ではいっそ、今までの通例儀式に逆らい、健康など意に介さず、「ソフトクリームが食べたいわ」「今日は食べる気分じゃないの」と気分に合わせて食事をしたらどうなるか?
そうすると基本がカロリーメイトなどの栄養補助食品になったが、それも次第に取らなくなっていった。人と会うときだけ火と人の手の通った食事をいただいた。はっきり言って非常にお腹が空く。お腹が空くと、久々に食べる料理はほんとうにおいしく、貴重なものになった。味を感じなかった絶望的なかなしみを思い出し、それと対比すると、味を感じることはおおきなよろこびになった。うまい。できればもう、味を感じないなどはごめんだ。
体が理性を失い、食物を渇望するのを待つために、家に食物を置かないようにした。欲しい時にはかならず、わざわざ足を運んで時間をとる。そして、今日口にするものへ思いを巡らせる時間を大事にし、貧乏を好んだ。物に満たされると飽和される。感覚という感覚が鈍する。選択して貧乏を選ぶとはなんと贅沢だろう。危機感に欠ける悠長なわたしの思惑とは裏腹に、わたしの経済状況は現実味を帯びて生存危機に面していった。
それから友人の施しを受け、一時的に難を逃れ、味を感じなくなったあの時から5年後の今、現在は細々と1日1〜2食作ったり、買い食いしたりをしている。
かてともしければおろそかなれども、なほ味をあまくす。…
方丈記を書いた鴨長明は、晩年、俗世を離れ自作の小屋で生活をした。「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」の出だしで始まる一節が有名だが、全文を読むとその言葉一つ一つが面白い。彼の日常を取り巻く時代の、人の流れが、彼の目を通して記されている。この言葉もその一つ。時折街におりては、物を乞いていたとも文中に書かれているところから、日々の食事は十分であったのかどうであろうかと想像する。「糧が乏しければ、疎かだけれども、尚の事、味を甘くする」
他に、吾妻ひでお作の「失踪日記」「アル中日記」という漫画がある。漫画家吾妻ひでお氏の実話で、精神を病ませたり仕事に行き詰まると失踪してホームレスになってしまった日々の事などが描かれている。氏は漫画の中で「考えてみれば俺ってホームレスやってた時の方が健康的な生活してたな」と語っている。朝早く起きてその日の飯、タバコ、デザート、酒代、読み物を確保。昼間は洗濯し、拾った週刊誌や図書館で借りた本を読んで過ごす。その方が健康的になるという気持ちはよく分かる。劇中では、ゴミ捨て場に落ちていた使用済みらしき天ぷら油を一日の楽しみにほんの一口、飲んでいくシーンがある。他にもカビの生えた肉まんのカビを取り除き、うまい!と喜ぶシーンも。
うまいと感じるにはよりうまいものを食べるのではなく、米一粒の甘さを深く感じとる感覚を澄ましていくことが大切なのではないだろうか。一粒の甘さを知ると、椀一杯の白米が異常に美味く感じる。それはきっとごはんだけでなく、いろいろなことにも通じているようにおもう。